
2014.9.23 石橋 賢治
今から25年くらい前でしょうか。ファッション雑誌の月刊メンズクラブのある月の紙面に半頁か1頁の内容で、「2001年ウィンブルドン」というショートストーリー(?)が特別に掲載されていました。
タイトルも含め、かなり記憶はあいまいなのですが、2001年のテニスのウィンブルドン大会の決勝で日本の若い選手が戦っている未来の姿を描いたものでした。冒頭には、「この時代、松岡修造も引退してしまい、アンドレ・アガシはベテランとして頑張っている」などのようなセンテンスがあったようにも記憶しています。
当時(1990年の少し前くらいでしょうか)、このストーリーを読んだとき、失礼ながら、「あと10年と少しで日本の選手がプロテニスの最高峰であるウィンブルドンの決勝の舞台に立つなど、かなりの希望的観測だなぁ」と感じる一方、「いや、意外にこの日は近いかもしれない」という希望もしばらくの間、抱いていたことを思い出します。
なぜなら、松岡修造選手は「世界でも10本の指に入る」と言われたサーブを武器に、メチージュ選手、イワセニビッチ選手、サンプラス選手、エドバーグ選手などの当時の多くの強豪に勝利していったからです。また、当時の世界ランキング1位のエドバーグ選手と並んでも、身長も見劣りせず(むしろ松岡選手の方がやや高かった)、体格という面でも負けてはいませんでした。松岡選手がウィンブルドンでベスト8に入り、準々決勝でサンプラス選手から1セットを先取した試合のワクワク感は今でも心に残っています。
その松岡選手が怪我にも悩まされ、引退表明をされてから、かなりの年月が経過しましたが、松岡選手の持つ世界ランキング46位を突破する日本人選手が現れました。錦織圭選手です。そして、ウィンブルドンではありませんが、四大大会の一つの全米オープンで遂に決勝の舞台に日本人選手が立つという四半世紀前のストーリーが現実のものとなりました。
錦織選手の快挙とともに、松岡選手が彼の才能を見出し、小学生の錦織選手に対して熱心に指導をしている昔のビデオがテレビで放映されていました。松岡選手は、日本のテニス界の発展のためにも後継者を探していたのでしょう。錦織選手を夢中で応援している松岡さんの姿を見ると、その思いがどれほど強かったのかを痛感します。
松岡選手と錦織選手の日本のテニス界における快挙から、私達は一つの事実に突き当たります。体格に恵まれた松岡選手に対し、体格の不利を覆すエアKと言われるジャンピングショットやマラソンマンと評価されたタフな錦織選手。
「俺の若い頃に似ている」などの上司の言葉は今では少なくなったような気がしますが、私達は自分に似たタイプを探し、後継者として育成しようとする傾向があることを否定できません。もちろん、それも一つの選択肢であり、成功につながっている事例も多くあります。
一方、自分の限界を打ち破り、事業やチームがさらなる飛躍を果たすためには自分と大いに異なるタイプを後継者として選択し、夢を託す。そんな勇気も私達には必要なのでしょう。
2013.8.23 石橋 賢治
最近、病院の事務職(総合職)に対するマネジメント研修の依頼が増えています。弊社では、そのファースト・ステップとして、経営計画を作成する能力を培うことを目的に実施しています。
私が病院に事務職として就職した当時(平成元年前後)は、「病院冬の時代」と言われながらも、周辺人口の増加と高齢化、医療の高度化などを要因とし、収益は右肩上がりを続けていました。療養病床の概念や平均在院日数の短縮化という命題もなく、病床のダウンサイジングという発想はほとんど存在しませんでした。
このような状況下、事務職の専門性発揮は、診療報酬点数の算定、給与計算、労働法への適応、財務諸表の作成などのレベルに留まっていたように感じます。私自身も経理課に所属していた頃は、収支予算の作成や差異分析は行うものの、スコアラー(記録係)の役割が主な経理業務であると誤解しており、分析結果に基づいて、収益向上や費用削減の具体策を提案したり、実行(支援含む)したりするコーチやプレイヤーの役割を果たしていなかったという苦い経験があります。
単年度の収支予算も経理課で作成した原案に対し、院長、副院長、医局長、看護部長、事務長などで構成される幹部会議で決裁を受けるレベルに止まっていました。収支予算の内容や進捗状況が各医師や職場の責任者にまで通知されることも、ほとんどなかったように記憶しています。まして、幹部以外の医師が参画する経営会議の定期的開催などは、必要性そのものに同意が得られなかった時代でもありました。
なぜなら、上記のような成行管理でも収益は増加し、経常利益は確保できており、自院の機能や規模などの再構築の必要性も低かったからです。誤解や批判を覚悟で申し上げれば、一部の先進病院を除けば、事務職は自分の所属する課の定型業務を無難にこなすことが求められていた時代であったように思われます。実際に、病院経営に必要な幅広い知識や能力を有していた人材は極めて少なく、医事や経理を知らない事務長なども少なくありませんでした。
一方、医療環境が激化している今日において、自院の進むべき方向(診療機能や規模など)を明確に示し、組織、人事、マーケティング、オペレーション、財務、情報などのあらゆる視点で経営基盤を強化する方策を作成して実行しなければ、病院は市場淘汰される可能性が高まっています。実際に全国の病院数は平成2年の10,092をピークとし、現在はその1割以上も減少しています。
「マネジメント」は、環境が複雑になるほど求められるものです。一般企業と異なり、利益や製品・サービスの安全性のみならず、医師や看護師などの医療従事者の確保という大きな課題が病院にはあり、さらにマネジメントを困難にしています。
それでは、事務職に求められるマネジメント能力とは具体的に何でしょうか。
一言で表せば、「経営計画を作成し、実現する力」であると私は考えています。
「経営戦略の策定」、「多面的かつ定量的目標の設定」、「組織、人事、マーケティング、オペレーション、財務、情報などの各分野のアクションプランの作成」からなる経営計画の策定・実行と統制を病院職員全体の参画を得ながら、推進する役割は事務職が担わなければ、誰が担うというのでしょうか。優秀な理事長や院長であっても、その全てを1人で行うことは不可能です。
私が常に意識している「有効かつ魅力的な経営計画」に必要な4つの要素は、下記の通りです。
@論理性・革新性
「どうなりたいか」、「どうなるべきか」、「どうなれるか」の3つの視点に基づき、説得力のある内容でまとめられているか。
A専門知識の活用
専門知識が活用された有効な計画となっているか。
B具体性
抽象的な内容でなく、職員が何をすれば良いかがわかる具体的な記述になっているか。
C文章力
読み手がわかりやすい構成、文章で作成されているか。
今後の病院の盛衰を決める一因として、「事務職のマネジメント能力の発揮」に注目しているのは、決して私だけではないはずです。
2012.8.6 石橋 賢治
テレビドラマで小栗旬さんが演じるベンチャー企業の日向社長が、「今ここにない未来は自分で創る」という抱負を書いている姿を観て、ふと高校時代に読んだ筒井康隆さんの「七瀬ふたたび」の一場面を思い出しました。
未来予知能力者が予知した未来が自分にとって都合の悪いものであった場合に意図的に変更する行動をとってしまうと、予知した未来は未来でなくなり、未来予知能力者の存在の否定につながってしまう。そのため、予知能力者が予知する未来は自分にとって都合の良いものとなるように「未来の人為的改変」が既になされた結果であり、予知能力者は自分にとって都合の悪い未来は予知しないという論理が使用されていました。そして、未来予知能力者が未来を予知できなくなった時、それは「死」を意味するという内容でした。
この未来予知能力者に対し、経営者は常に環境の成長・鈍化要因を認識しながら、意図的に未来の人為的改変を行わなければなりません。環境変化のスピードがますます早まる中、未来の人為的改変を怠った時、組織はゴーイング・コンサーンとして存在することができなくなる危険が高まります。未来の人為的改変をダイナミズムにしている日向社長は、なかなか格好よく映ります。
一方、小学生の頃に読んだノストラダムスの大予言の記憶も蘇ります。1999年7月に空から宇宙の大王が降りてくる。ノストラダムスの大予言として有名なセンテンスです。予言日の数ヶ月前、某テレビ番組では、「大予言と呼ばれている記述は、ノストラダムスが身近に起こった出来事を書き留めていたものであり、後世の人々がこれらを勝手に解釈し、予言が的中したというお墨付きを与えてしまったのである」という見解を紹介していました。
放映の中では、「予言ではないので安心してほしい」というメッセージとともに、本予言を信じ、実際に誰かが予言を実現しようとして行動してしまうこと、すなわち、「予言の自己成就」の危険を警告していました。
私達は予測する(される)世界の内に存在しているのであり、大小はあるものの、その世界を改変できる可能性があるという希望と危険。変えるべき未来と変えるべきではない未来。この判断に私達は日々悩みながら、覚悟を決めて答えを出し続けていかなければならないのでしょう。
2011.7.15 石橋 賢治
仕事柄、多くの病院の院長先生と直接お会いして話をさせていただく機会がありますが、数年前、話をするときの院長先生の視線の意味は大きく三つのタイプに分かれることに気づきました。
例えば、私と院長先生がほとんど二人で会話をしている場において、私の隣に同席している私の部下に対する院長先生の視線は、@上司(私のことですが)と話をしているのであるから、上司のみに視線を投げかける、A隣の部下は話さないけれども話に同席しているのだから、気を使って部下の方にも視線を時々投げかけてくれる、B意図的に部下を無視して上司のみに視線を終始投げかける、の三つに大きく分かれます。
@とBの区別はできないと言われるかもしれませんが、これらは全く異なるものです。Bの「意図的に部下を無視する」という理由ですが、無視することで相手の組織力を院長先生は試しているに違いありません。
「優秀な組織の場合、相手に無視されても部下はそこにいる意味を考え、集中力を絶やさず、熱心に話に耳を傾けている。一方、そうでない組織の場合、相手に無視されれば、部下は『自分には関係ない』と誤解し、集中力を絶やす。また、優秀なコンサルタントであれば、真剣勝負の話の場に集中力を絶やす未熟な部下を連れてくるわけがない。この組織の力をみてやろう。」という院長先生の思惑があるのでしょう。
視線を投げかけなくても180度程度は何となく見えるものです。実は見えている、正確には「見ている」のです。
そして、Bのタイプの院長先生が最も多いことを私は経験から確信しています。相手によってAとBを使い分ける達人も存在します。
コンサルタントとして必要な力の一つに「人間性」があります。知識のみならず、暗黙知としての集中力やアイコンタクト(目の合わせ方)など、ビジネスに重要な要素はいくらでもあります。
10年以上前になりますが、ある病院の救急外来で私の恩師が診察を受けた際の出来事です。受付の事務の方が二人いらして、そのうちの1人の方が会計をしてくれました。
その病院を出た時、「ここの病院の事務の方はいいね。」と恩師は付き添っていた私に言ったことがあります。「なぜですか」と尋ねた私に対して恩師は、「対応してくれた人は当然だが、対応しなかったもう1人の方も離れている場所から視線を投げかけて気持ちを込めて『お大事にしてください』という言葉をかけてくれたからだよ」と静かに微笑みながら言いました。
「見られている人は誰か」
それは決して顧客に対応している直接の人物とは限らない。
むしろ、相手が達人であればあるほど、直接対応していない人物の方が見られている(試されている)のでしょう。